よく、お守りというのは、複数もってしまうと、神様が喧嘩をしてしまうから、効果が無くなってしまう、などという俗説があります。
この俗説についてのほんとうのところを解説します。
八百万の神が住まう国
そもそも、我が国は八百万の神が住んでおり、その由来をたどると、たしかに敵対関係にいるものもありました。
また、ギリシャ神話がそうであるように、多神教の日本の神様はどれも個性豊かですから、かち合うこともあるでしょう。
その理由づけは良くある話です。ですが、それで願いへの効能が減じるかというと、正しくもあり、また間違ってもいます。
本質的には大きく2つの点で「複数神に願う」という行いを理解する必要があります。
願いの分散
そもそもの話です。人というのは、多くの願いを持ちすぎると、目的がブレます。
これは、誰かにお願いするしない以前の話として、人というのはマルチタスクに限界があるわけで、勉強も遊びも仕事も恋愛も金儲けもすべて願うと、本人は「じゃあどれから手をつければいいの?」なんて話になるわけです。
願う側の問題として、あたりまえに、複数の願いというのは、それだけ思いが分散してしまって、意味を減じるのです。
これは、極当たり前の話です。
ですから、複数の目的のお守りをバラバラともつと、結局、目的は忘れられてしまって達せられないということはあるわけです。
当ブログでは、護符やお守りは、特定の願いの意識付けを行う願望機である、というようなことをいっています。まさに意識が分散して願いが効果を減じてしまうという訳ですね。
逆に言えば、たとえば一つの願いだけに対して、複数の神様にお祈りをすることは問題ない訳です。結婚だけのお守りをジャラジャラ持っていてもよいのです。
また、世の中にはマルチタスクに慣れた人もいますから、そういう人は、願いが複数あっても大丈夫です。
願いを掛けるというのは、結局は本人依存ということです。
神社由来の神様のかち合いは?
ではもう一つ気になるところ。
神社由来の神様のかち合いについて。
例えば菅原道真公は、陰謀により後醍醐天皇によって左遷され、失意のまま没していて、さらに怨霊化までしていますから、天照大神と天満天神(菅原道真公)は相性が悪い、なんてことがあるかもしれません。
実際そういう考え方も出来ます。更に言うと、それを知っていることによって「アマテラスと菅原道真公のお守り同時につかったら駄目だよなあ」と思ってしまった人は、効果を減じるというのは大いにありえます。
これもシンプルな話で、護符やお守りというのはその背景に効力を依存しますから、歴史を知っていることで、本人がネガティブに思えば、願いへの効果を失うのは当たり前の話です。
ただ知らなければ、別に影響はありません。神様への願いとは結局は自発に影響を与えるものですので、たとえ相性がわるい神様でも、そうと知らないことで、本人の願いはそれを塗りつぶすことが可能なのです。
一方で、さんざんこのブログでも言っているように、お守りや護符、あるいは関連する呪法というのは、その由来を知っていたほうが効果を発揮します(意識がまわる)。
ですから、そのあたりも考えて、知識とお守りを選ぶのが良いのです。
まとめ
複数持ちの場合は、願いの数に注意しましょう。
多すぎる願いは、当たり前に目的を濁してしまいます。
神様の相性については、知らなければ問題ありません。知っていたなら、配慮しましょう。