安倍晴明は、平安時代に活躍した、いわゆる「陰陽師」ですね。
この陰陽師というのは、役割としては複数あり、主なものとしては天文学、暦、占い、時刻等に加えて、その時代の祭事の取り仕切りることを役割としていました。
安倍晴明はその中にあって、もっとも当時の為政者の中枢に近いところにいた陰陽師であり、それによって、いくつもの書物に記載が見られる、日本で最も有名な陰陽師となっています。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この陰陽師というのは、当時の宮中における役職名であり官職でした。
そして、安倍晴明は、壮年にさしかかることに宮中における役職を歴任し、最終的に陰陽頭という、当時の陰陽師のトップになっています。
安倍晴明の仕事
安倍晴明の仕事というのは、先に述べたとおり、天文学、暦、そして時刻があり、その他に占いと祭事があります。
この天文学と暦と時刻というのは、農耕民族である当時の人々にとっては、季節を知り、食料確保のサイクルを知るための非常に重要なものでした。
当時の為政者がこれを民に伝えることは、ある種の権威性を担保するために役立っていました。また、年貢や税の徴収の時期を決めるためにも、それらの時節の管理というのは重要な事柄でした。
また、同時に平安時代というのは、まだ科学が発達していないですから、世の説明がつかない事柄については、ある種の宗教由来の学問体系が、その代わりをしていました。その一つが陰陽師でした。
陰陽師は、病魔や事故や怪我といった、忌みものや汚れ、占いや禊祓といった祭事で回避することを試みたり、医者のような役割をしたり、生活習慣のアドバイスをしたりといった、生活サポーター/アドバイザーとして存在していました。
陰陽師がしばしば扱う、式神、護符、禊祓、他術の数々はそれらの生活儀式を行うために必要な行為でした。
安倍晴明は、これらの役割りを自らも行い、また統括する役割りを担っていました。
具体的には祭事の取り仕切りの他、天狗やもののけのたぐいの封印儀式、霊具の制作、日々の占いに、物忌みとよばれる事故から身を守るための指示出し、さらには、その天文学の計算能力を買われて主計寮とよばれる、宮中の設備金品の帳簿業務まで行っていました。
安倍晴明は、陰陽頭となってから、20年以上に渡って、宮中で要職にあり、またその子供らも陰陽師となったといいます。
さらに、その子孫は土御門家ほかの家系として、現代にまで続いており、歴史のその時々で、陰陽師として名前が出ています。
詳しくはwikiなどにも記載がありますが、陰陽師について記した書籍が詳細で興味深いのでここに紹介したいと思います。
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フィクションにおける安倍晴明
フィクションにおける安倍晴明は、これらが非常に誇張されたものとなっております。
平安・中世文学のでは、史実として登場するもの以上に、陰陽師の術者として活躍する記載が数多くみられます。
安倍晴明は、術くらべに勝ったり、式神をつかって家事を行ったり、呪い返しをしたり、鬼を封印したりと、しばしば活躍しています。
近世になると、これらが人形浄瑠璃や歌舞伎となります。最も有名なのは、芦屋道満との争いの物語ですね。
その芦屋道満大内鑑では、芦屋道満という陰陽師と安倍晴明の戦いが描かれます。芦屋道満は悪として、安倍晴明は善の陰陽師として戦っています。
現代においては、漫画や小説ゲームやファンタジー、ホラーやフィクションなどで様々に登場しています。
これらは生活アドバイザーというよりも、日本版の魔法使いのような役割りで描かれることが多いですね。
奉祀として
安倍晴明の墓所は、京都嵯峨にありますが、それとは別に安倍晴明を祀る神社があります。
屋敷跡にたてられた晴明神社の他、生まれた土地だとされる大阪市阿倍野区、また立石熊野神社、名古屋晴明神社等、いくつかが見受けられます。
これとはべつに、後世の陰陽師が安倍晴明にあやかろうと進行したため、日本各地に晴明塚と呼ばれる塚がほんとうに数多く存在しています。
安倍晴明という存在
ここでは簡単に述べるにとどめますが、安倍晴明というのは、いろいろな例に見られるとおり日本における術師として無二な存在です。
興味深いのは、多くの旧来の宗教体系、思想体系における、名のある人というのは、神道であれば天皇に帰属するので、神職の名はそれほど重要な術者としてあまりのこっていません。仏教であれば、それは宗派の具体的な言葉とセットでの残るものです。そしてそれらは、空想の絵空事よりも、地に足のついた伝承の側面が強いものでした。
ですが、この陰陽道における陰陽師の安倍晴明だけは、空想の絵空事として描かれるのが多いということです。
それだけ、安倍晴明という存在は特別でシンボリックな存在だということです。