占いに携わっていると、東洋と西洋でその根底にある思想がだいぶ異なっていることが理解できますよね。
東西の特徴
例えば、東洋というのは、その根底にあるのは陰陽であり五行です。そしてそれらの関係や、暦との関連から、物事の吉凶を見ていく。
対して西洋というのは、こちらは、天体やカードや数字に対して、ある体系化された意味を当てはめて形を創ります。そしてそれらの関係から、物事の性質を定義していくような占いが多いです。
その根底にあるのは、どちらも森羅万象の解説なのですが、興味深いのは東洋系の占いのほうが、その良い悪いの判断の境目がはっきりしていることです。対して西洋系の占いのほうは、物事の性質の境界線は曖昧です。
吉凶を用いる東洋、性質を重んじる西洋
また特徴として、東洋の占いというのは、吉凶のなかでも凶を重く用いますよね。以前流行った、「あなた死ぬわよ」の人もそうですけど、まず最大限の悪いを導き出し、それをどう回避するのか、という考え方で使われることが多いと思います。
対して西洋系の占いというのは、吉凶よりも性質ありきです。まず対象の現在なり過去なり未来なりの性質を導き出し、それと周辺あるいは本人との比較をすることで、ふんわりと関係を見ていく。その判断は良い部分と悪い部分の両方を加味した、時に曖昧なものになっています。
違いは政治と宗教にあり?
この違いというのは、おそらく、東洋系の占いは、古くから政治に結びついていたことから、良いことよりも悪いことを回避する側面が発達したのだと思っています。
具体的には「悪いことが起きるから対処してください」⇒「起きなかった=私の言う通りにしたから上手く行った」「起きた=対処が足りなかったようです。でも予想はあっていましたね」という、保険をかけた物言いにつながった結果だと思うのです。
ですから、悪いを沢山占いで導き出して、対応するというプロセスのなかで、東洋占いは吉凶が重用されるようになったと考えています。
これに対して西洋というのは、どちらかというと、国家よりも宗教との結びつきが強いものであったと考えています。その際の占いの役割は、科学的に説明できない事象や性質の解説です。宗教自体も神の名に於いて、物事を解説してきましたが、占いもそのような側面があったと考えられます。ですから、ロジカルでありながらも、解釈や結果についてはある程度占いをする物に委ねられ自由度があるのだと考えています。
以上の通り、占いというのは、西洋か東洋かによって、性質が異なり、またそれによって得手不得手があることがなんとなくわかりますね。
このように考えると、占いというのはまた違った見え方がするかもしれませんね。